富士山宝永大噴火の被害

07.20

「MEGA地震予測」から抜粋のコラム

富士山宝永大噴火の被害
 
宝永の噴火として知られる富士山の大噴火は宝永4年(1707)におきました。
噴火の49日前には東海、東南海、南海の3連動地震(宝永地震)が起きていました。
4年前の元禄16年(1703)には小田原付近で被害が甚大であった元禄地震が起きています。
まさに日本は大惨事に見舞われました。
宝永大噴火は富士山の中腹の東南斜面で起き今でも宝永山をなしています。
火口は長径1.3km、短径1kmの楕円形で深さは1kmにも及びました。
およそ10億立法メートルの山体が吹き飛びました。
最初はサッカーボール大、次に桃の実大、最後は小豆大になり粗い砂になったと言われます。
御殿場市の北部の噴火口に近い集落では砂は2mにも達しました。
小山町付近で1.5m、御殿場市北西部で1mになりました。
降砂は西丹沢方面、南足柄市の開成町、小田原市の東部、酒匂川扇状地で50~70cm積もりました。
20cmの砂で作物が全滅したと言われますから大変な被害でした。
酒匂川は砂で埋まり河道が塞がったために、山北町の大口堤で堤防が決壊して大洪水が起きました。
秦野で40~50cm、藤沢、横浜で20~30cm、江戸でも10~20cmの砂が降ったといいます。
この大噴火から300年以上噴火はないのでそろそろ富士山が噴火するのではないかと心配されています。

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